【鮮人ニ対スル迫害ニ関シ告諭ノ件】(公文類聚・第四十七編・大正十二年・第一巻・政綱・詔勅〜雑載)作成年月日: 大正12年09月05日 内容: 閣甲一四五 十二九五 鮮人ニ對スル迫害ニ関シ別紙案ノ通内閣總理大臣ヨリ告諭ヲ発セラレ然トヘレト認ム 内閣告諭第二号
今次ノ震興ニ乗シ一部不逞鮮人
ノ妄動アリトシテ鮮人ニ 大正十二年九月五日 内閣総理大臣 [出典] 姜徳相,琴秉洞『現代史資料 (6) 関東大震災と朝鮮人』みすず書房, 1963.10.25, p.74 「震災に際し国民自重に関する件」 なお 訂正個所(
【臨時震災救護事務局警備部打ち合わせ 大正12年 9月3日決定事項】東京方面に於ける警備事項 第一, 宮城,赤坂離宮其の他官邸の警備並に 重要官公衙の警護に関する件 右は軍隊及び警察に於いて既に厳重なる警衛及び警護を為しつつあり 第二, 各避難所の保護取締に関する件 罹災民の避難地殊に丸ノ内, 日比谷公園, 上野公園, 九段坂上, 牛ヶ淵公園, 帝大, 一高構内, 其の他集合避難せる場所に対しては, 適当なる軍隊並警察を配置し, 以て保護取締の方法を講じつつあるも, 尚一層其周到を期するに努むること. 第三, 市街及び一般民衆の保護取締に関する件 一, 検問所の設置, 市の周囲並市内枢要の場所に検問所を設け, 軍隊及び警察官を配置し, 容疑人物の尋問を行ひ, 容疑すべき人物は, 之を警察官署に引渡し取調を為さしむべし. 二, 検問所又は巡邏隊其の他警備に配属せられ居る者に於て, 容疑人物を尋問する際には, 携帯品に就いて検索を行ひ危険物件を所持セル場合には之を領置すること. 三, 危険物件を妄に携帯する者は之をすること, 警邏巡察は成るべく頻繁に行ひ以て査察取締の周到を期すること. 第四, 一般朝鮮人の保護に関する件 朝鮮人にして容疑の点なき者に対して, 之を保護するの方針を採り, 成るべく適当なる場所に集合避難せしめ, 苟くも容疑の点ある鮮人は悉く之を警察又は憲兵に引渡し適当処分すること. 第五, 要視察人の取り締まりに関する件 要視察人危険なる朝鮮人其他危険人物の取り締まりに就ては, 警察官及憲兵に於て充分の視察警戒を行ふこと. 尚一般民衆取締の際, 理由なくして拳銃等所持携帯せる者を発見したる時は一応之を危険人物として取扱ふこと. 第六, 民衆自衛団の統制に関する件 民衆自衛団の自警に当るは適当なるも, 往々にして法規を无袒[ママ]し矯激に亘り却て秩序を紊すの行為を為す者なきを保せざるを以て, 自衛団に対しては通常警察又は軍隊の指揮の下に統制監督を行ひ且適当なる任務を与へ, 其の範囲内に於いてのみ行動せしむること. 第七, 出版物及印刷所取締に関する件 本件に関しては別紙通牒の通とす.(別紙通牒略) 第八, 警備に関する通信連絡の整備, 殊に電話の速成を図る件 電話の速成は此の際警備上最も必要なるを以て軍隊に於て出来得る限り之が連絡助成の方法を講ずること, 尚警察官憲に於て警察電話の修繕の速成を計る為必要あるときは陸軍に於て工兵及材料を供給して之が援護を図ること, 尚連絡上必要なる箇所等の計画は陸軍省に通報すること. 第九, 交通整理及交通路の改備に関する件 市内交通の便を図る為め, 橋梁の焼失陥落せる箇所は, 成るべく速に仮架橋を行ひ其の他交通の支障となる所は之を除去し, 以て交通の便を促進すること. 第十, 宣伝取締並に宣伝を実行する件 不穏なる印刷物の撒布, 貼紙其の他不穏の流言浮説を流布する者に対しては厳重なる取締を行ひ, 且つ人心安定を図る為積極的に善良なる意味の宣伝を為すこと. 右は臨時震災救護事務局情報部に於て実行に努めつつあるに付, 之を充分援助すると同時に, 警備の方面に於ても適宜適当なる宣伝を出来得る限り実行に努むること. 第十一, 一般救護事務の援助に関する件 糧食, 飲料水の給与, 避難場所選定指示, 徴発の執行に付一般救護事務を行ふ者に対しては, 軍隊及警察官に於ても充分援助を与へ其の便宜を図ることに努むること. 第十二, 連絡船の航行に関する件 海軍に於ては 要地間に於ける連絡官船を備へ清水港と東京又は横浜との間に連絡船を航行せしむることとし, 通信特使警備隊の派遣に対し出来得る限り便宜を供与すること. 第十三, 鉄道に依る旅客の取扱に関する件 此の際罹災民を成るべく東京より地方に避難せしむることを以て適当なりと思料せらるるに付, 地方に向つて避難する者に対しては無賃乗車の方法を採り又地方より東京に来らんとする者は, 公務の為の者を除く外, 万止むを得ざる場合の外は其の乗車を拒絶すること. 第十四, 東京又は横浜に来らんとする者の阻止方法に関する件 鉄道に依る者と否とを問はず東京及横浜方面に来るも食糧品の給与困難なる事情を明かにし其旅行を中止する様地方官に於て速に周知方を講ずること. 尚警備事務の打合及連絡を図る為毎日午前九時より関係官庁事務官の会合を行ふこと.
【臨時震災救護事務局警備部打合せ 大正12年 9月4日決定事項】一, 検問所の勤務は警察官のみならず軍隊も之に協力すること. 二, 軍備の配備せられるあるを周知せしむる方法を採ること. 三, 民衆の凶器携帯を禁止する事, 之が為め法律上携帯を禁止しあるものの取締を厳格にし棍棒類も使用方法不当なるものを取締る事, および凶器の押収は自覚を促す方法に依りて行ひ, 応酬の実施は警察官, 軍隊共に之を行ふ事. 四, 鮮人保護の方法を講ずる事. 五, 民衆自警団に統制を加ふる事.
[出典] 姜徳相,琴秉洞『現代史資料 (6) 関東大震災と朝鮮人』みすず書房, 1963.10.25, p.77 「朝鮮人対策の推移」 |
[転載] 関東大震災朝鮮人虐殺関連日弁連調査報告書 (抄)【出典】 朝鮮新報 ≫ 日本語 ≫ 時事目次
関東大震災朝鮮人虐殺関連日弁連調査報告書(1) 第1章 申立の概要 1999年12月10日提出の人権救済申立書によると本件申立の概要は次のとおりである. 第1 当事者
現住所, 本籍, 代理人省略 相手方 日本政府 第2 申立の趣旨
第3 申立の理由(概要)
第2章 調査の経緯
史(資)料の確認のために, 赴いたのは, 東京都公文書館, 防衛庁史料編纂所, 憲政資料室等である. また, 朝鮮人虐殺の加害者を処罰した刑事事件の確定判決閲覧謄写のため, 前橋, 横浜, 浦和, 千葉の各地方検察庁を訪問して, 閲覧謄写の申請をした. 上記各地方検察庁では結局のところ確定記録保存法にいう保存記録ではないとの確認を得たが, 結局上記各地検からは閲覧許可を獲得するにいたらなかった. このため, 事件委員会は元立教大学教授山田昭次氏が歴史研究の目的で収集した判決のコピーを閲覧して, 事実認定の資料として活用させていただいた. なお, 関東大震災の際に発生した殺害等に関しては, 朝鮮人, 中国人のみならず, 社会主義者と目された日本人あるいは朝鮮人と間違われて殺害された人などが知られているが, 申立の趣旨から, 本報告書では, 朝鮮人, 中国人の被害に限定して検討する. 第3章 当委員会の判断 次の主文による勧告を日本政府に対して行うべきものと考える. 【主文】
第4章 上記判断に至った理由
1923年9月2日, 政府は, 帝国憲法8条に定める緊急勅令によって戒厳令を宣告した. 9月3日には, 戒厳地境を東京府, 神奈川県全域に拡大した. (以下省略)
第3 軍隊による虐殺 1 認定と根拠 (1)認定
しかしながら, 陸軍および政府に残る資料から, 軍隊による殺害の事実を確認することができる. また, 中国人に関しては, 資料収集者に対する聞き取りが実現したことから, これを判断の参考にすることが可能であった.
以下に検討の内容を記す. (1)政府の記録に残る事件
上記2つの資料は, 同一の事案について共通して記載している事例が多いので, 主に資料第3の1に依拠して概観すると, 下表のとおり12件の軍隊による朝鮮人虐殺事件があったことが認められる. その被害総数は少なくとも数十人以上に及んでおり, この資料に記載された殺害事件だけでも多大な数に上る. なお, 下表(4)の事件については, 被害者は中国人である可能性がある. 以上の事実によれば, 軍は震災後の混乱の中で, 理由なく朝鮮人を多数虐殺しているのであり, これらの殺害事件に関する国の責任は重いといわなければならない. また, これらの事件は, 裁判・軍法会議のいずれにもかからなかっただけに, 軍隊による朝鮮人殺害の事実と国の責任を明らかにすることの意味は大きい.
資料第3の2によれば, 資料第3の2に報告されている「千葉県下における殺害事件」は, 「千葉地方裁判所管内に於て鮮人を殺傷したる事件を検挙し之が審理中軍人に於て殺害行為を為したりとの密告を為したるものあり. 又被告に於て其の趣旨の陳述を為したりとて左記事実に付検事正より報告ありたるを以て直に之を陸軍省に移牒を受けたものを軍としてあいまいにすることができないことから, 報告をあげていると考えられる. そして, 資料第3の1が資料第3の2とかなりの程度重複していることから, 資料第3の2に掲げられた事件も, 資料第3の1と同様の事情で表面化せざるを得ない範囲に留められているものと考えられる. また, 資料第3の1は「兵器」を使用した事例とされている. これは, 小銃など軍隊が用いる兵器によらずに殺害した事例は除外するとの意味とも受け止めうる. 3 軍隊による中国人虐殺(省略) 4 結論 以上のとおり, 軍隊によって朝鮮人および中国人が殺害された事実が認定できる. なお, これらの虐殺の状況について, 資料第3の1には, 虐殺が正当防衛にあたるものであるかのごとき記載が列挙されている. 一例を挙げれば, 資料第3の1の2例目には, 「鮮人と思わるる者夜警青年団員に追跡せられた結果窮して抜刀し群衆に迫り危険甚しく歩哨之を制したるも肯せす已むを得す…刺突し…射殺」したと記載されている. いわれなく自警団に追跡され危険を感じた朝鮮人が, 仮に抜刀して身構えたのだとしても, これを刺突した上射殺しなければならない急迫不正の侵害は認めがたい. また, 同4例目には, 「該鮮人は突然右物入より爆弾らしきものを取出し将に投擲せんとし危険極なかりしを以て自衛上已むを得す之を射殺せり」と記載されているが, 投てきしようとしたという物体が爆弾であったとは記載されていないから, 射殺後もそのような事実は確認できなかったのであろうと認められる. このように, あたかも正当防衛その他やむを得ずに行ったものであるかのように記載されている各殺害行為は, いずれも軍による朝鮮人殺害を正当化できるものではない. 1 事実
民間人による虐殺行為は, いわゆる自警団によるものであったことは, 以下のとおり, 様々な資料の示すとおりである.
(2) 刑事確定記録(省略) (3)刑事裁判についての新聞報道(省略) (4)自警団に関する自衛隊および警視庁の資料
「9月16日の調査によれば市部に562, 郡部に583団体が組織され, 多い団体は110名, 少ない団体30名であったが, 逐次その数を増し, 10月20日ごろには市部 774, 郡部 810, 合計 1584団体の多数に上り, また1団の数も多いものは750名という大きな組織をもつものもあり, これがため統制も乱れ, 過激粗暴の行動に出るものも少なくなかった. 」(資料第4の8, 警視庁警備部, 陸上自衛隊東部方面総監部編『大震災対策研究資料』70頁). 「団員は各自刀剣, 木刀, こん棒, 竹やり, 銃, とび口, くわ, 玄能, かま, のこぎり等あらゆる凶器を携帯し, 町村の要所および出入口に非常線を張り, 通行人に対し, 厳重な尋問を行い, 朝鮮人の疑いあるものは警察署に同行し, あるいは迫害を加え, 中には勢をたのみ暴行, りゃく奪, 殺傷事件をひき起こすものもあり, また, 団体加入を強要したり, 寄付金を強要するなど, 専横をきわめる団体も現れるにいたった. 」(同書同頁). 「民衆は自警団を組織して朝鮮人に対して, 猛烈な迫害を加え」た(同書67頁). 震災後の犯罪発生数については, 「9月, 10月に殺人犯が激増して漸次減少している9月中の殺人は, 震災直後の9月1日から3日までに多発しており, これらの原因は, 鮮人来襲に対する自警団の凶暴的行為がその最たるものであった. 」(同書72頁)としている. 2 自警団による虐殺に関する国の責任
(1)朝鮮人に関する虚偽事実の流布(流言飛語)
そもそも, 朝鮮人が放火, 爆弾所持・投てき, 井戸への毒物投入等の不逞行為をおこなっているという喧伝は, 客観的事実ではない流言飛語であった. 少なくとも, 各所で多数のそうした行為が行われたり, 組織的な行為が行われたという形跡はない. これが流言飛語であったことは, 以下のとおり当時の警察文書の記載からも明らかな事実である. 例えば, 警視庁編「大正大震火災誌」(資料第1の1「現代史資料 6」39頁以下)は, 「鮮人暴動の蜚語に至りては, 忽ち四方に伝播して流布せらりしは, 9月1日午後1時頃なりしものの如く, 更に2日より3日に亘りては, 最も甚しく, 其種類も亦多種多様なり. 」(同39頁)と記載し, 以下時々刻々の流言飛語の状況と内容を摘示し, その取締状況と朝鮮人保護の状況に至るまで詳細に記録している. これは, 鮮人暴動・不逞行為などの言説がおよそ客観的事実にもとづかない流言であったことを直截に物語るものである. また, 警視庁編「大正大震火災誌抄」(資料第1の1「現代史資料 6」49頁以下)は, 警視庁管内の各警察署における朝鮮人に対する殺害などの犯罪行為を詳細に記録した史料であるが, この記録においても, 「鮮人暴動の流言熾に行はれ」「鮮人暴挙の流言行はるるや」「流言蜚語の初めて管内に伝播せらるるや」(同49頁)等と記載されており, 一貫してこれらが流言に過ぎなかったことを明らかにしている. 後述のとおり, 海軍省船橋送信所から打電された内務省警保局長発の打電は流言飛語の大きな原因になったのであるが, 船橋送信所は, 当時それだけではなく, 遭難信号や応援依頼の送信を繰り返して, 「鮮人暴動」「来襲」等の打電を連送したことによって流言飛語の各地への拡大, 伝播に大きく寄与したことがあきらかになっている. そして, この一連の打電の顛末を報告する軍関係文書, 東京海軍無線電信所長の大正12年10月1日付横須賀鎮守府参謀長宛「船橋送信所無線電報に関する件」(資料第1の1「現代史史料(6)」20頁)は, 「情勢不明にして騒擾の真相を確かむるを得ず避難者より或は青年団より誇大な情報」と記載し, 「不逞鮮人来襲」が客観的事実に基づくものではなかったことを認めている. 同様に, この船橋送信所の所長である大森大尉自身の報告書「送信所にて採りたる処置並びに状況」(資料第1の1「現代史資料(6)」23頁)は, 「警備に関しては送受両所間の聯絡杜絶せしため種々の錯誤を生じ遺憾の点多かりしも…終始不安に堪へざりし為如斯失態を演じ…結果より見れば徒に宣伝に乗りたる事となり慙愧に不堪」と, これらの打電の内容は客観的事実に基づくものではなかったこと, それにもかかわらず流言に乗ってしまったものであることを率直に述べている. 内閣総理大臣山本権兵衛の残した「戒厳令に関する研究」と題する文書(資料第1の3「政府戒厳令関係史料�鬼�」578頁)以下では, 朝鮮人に関する流言事例を具体的にとりあげて検討し, それを事実に反することとして否定している. たとえば, 次の例があげられている. 以上, 朝鮮人が放火, 爆弾所持・投てき, 井戸への毒物投入等の不逞行為をおこなっているという事実はなかった. それにもかかわらず, 次に述べるとおり, 内務省警保局および船橋送信所は, 虚偽の事実認識を広範に伝播した. (2)流言飛語の原因となった虚偽事実の伝達―内務省警保局長発の打電
なお, 右の(1)の打電の記録については, 欄外に「此電報を伝騎にもたせやりしは2日の午後と記憶す」と記入されている(資料第1の1「現代史資料 6」18頁, 及び, 資料第1の2「朝鮮人虐殺関連官庁史料」158頁). 当時, 都心の中央政府から船橋の送信所への伝令は伝騎による使者を走らせるしかなかったことも併せ考え, 内務省警保局長からこれらの打電の指示がなされたのは, 9月2日午後より以前のことであったものと判断される. これらの内務省警保局長発の打電は, いずれも客観的事実に基づくものではないことは, 前述のように, 当時の警察文書が記載しているところからも明らかである. 当時の警察組織の体制からすれば, かかる打電による情報連絡は各府県の知事ないしは内務部長に到達していたことは十分に考えられる. 右伝達により各府県はつぎにみる埼玉県のように各市町村に同様の情報を伝達し, これが自警団を組織する下地となり, また自警団をして虐殺にかりたてる結果をもたらした可能性を否定できないのである. (3)行政機関による虚偽の事実認識の伝達と自警団の組織
この経緯については, 大正12年12月15日の衆議院における, 永井柳太郎の質疑に, 以下のとおり取り上げられている(「官報号外 大正12年12月16日 衆議院議事速記録第5号 国務大臣の演説に対する質疑(前回の続き)」104頁, 資料第1の1「現代史資料 6」477頁以下, 及び, 資料第1の2「朝鮮人虐殺関連官庁資料」65ないし72頁所収). 「斯う云うような電報が其当時の内務省の最高官から発せられましたので, 其命令に接しました所の, 各地に於ける地方長官は, 又, 其命令を管下の郡役所に伝え, 管下の郡役所は又, 之を管下の町村に伝達することに努めました結果, 彼の自警団の組織を見るに至った」 埼玉県については, 以下の事実が指摘されている. 「埼玉県の地方課長が, 9月2日に東京から本省との打合せを終えて, 午後の5時頃に帰って来まして, そうしてそれを香坂内務部長に報告をして, 其報告に基いて香坂内務部長は, 守屋属をして県内の各郡役所へ電話を以て急報し, 各郡役所は, 其移牒されたるものを, 或は文書に依り, 或は電話によって, 之を各町村に伝えたのであります. 」(上記永井柳太郎の質疑「官報号外 大正12年12月16日 衆議院議事速記録第5号 国務大臣の演説に対する質疑(前回の続き)」106頁, 資料第1の1「現代史資料6」480頁, 及び, 資料第1の2「朝鮮人虐殺関連官庁史料」67頁所収) その移牒の内容は, 永井柳太郎によれば下記の内容であったという(その経緯については後述する). 「東京における震火災に乗じ, 暴行を為したる不逞鮮人多数が, 川口方面より或は本県に入り来るやも知れず, 而も此際警察力微弱であるから, 各町村当局は在郷軍人分会員, 消防手, 青年団と一致協力してその警戒に任じ, 一朝有事の場合には速に適当の方策を講ずるよう, 至急相当の手配相成りたし」 この質疑における事実摘示は甚だ具体的であり, かつ上記電報の内容, 性格と整合性を有するので, その指摘する内容は信ぴょう性が高いと評価できる.
(ア)片柳事件判決外の浦和地裁判決 前掲の浦和地方裁判所大正12年11月26日判決(資料第4の5)は, 当時の埼玉県北足立郡片柳村における朝鮮人に対する殺人被告事件(いわゆる「片柳事件」)である. 前記のとおりこの事件は, 自警団が日本刀や槍等を携帯して警戒に従事中, 被害者である朝鮮人が差し掛かったところ追跡し, 槍で胸部を突き刺し, 転倒したところを日本刀で右腕や臀部を斬りつけ, 後頭部を槍で突き刺して, その結果死亡に至らしめたという残虐かつ酸鼻なものであるが, 当時の朝鮮人虐殺の典型的な事件ともいえるものである. この事件の判決は, その理由中に, このような虐殺行為に至った経過について以下のとおり判示している. 「不逞鮮人が過激思想を抱ける一部の内地人と結託して右震災に乗じ東京市等に於て盛んに爆弾を投じて放火を企て或は井戸へ毒物を投入する等残虐の所為を敢てし…との流言浮説頻に喧伝せられ同村地方民は痛く之に刺激を受け興奮し居れる折柄県当局者に於ても咄嗟の間当時誤風説の根拠たる帝都における鮮人の不逞行為に付き其真偽を探究するの術なかりしより万一の場合を慮り翌二日の夜所轄郡役所を介して夫々管内の町村役場に対し予め消防手在郷軍人分会青年団等の各首脳者と協議し警察官憲と協力の上叙上不逞の輩の襲来に備うべく自警の方策を講ぜられたき旨の通牒を発したるより被告等居村民も亦同月3日夜より各自日本刀槍等の凶器を携帯し居村内に於て之警戒に従事中…」(同第3丁). このように片柳事件の判決は, 「県当局者」が9月2日夜, 東京等で朝鮮人が放火や井戸への毒物の投入などの不逞行為を行っているという風評について真実かどうかの確認の時間もなかったため, 郡を通じて町村に対し, 在郷軍人会, 青年団, 消防団等に警察等と協力のもとに不逞の輩の襲来に備えるための「自警の方策」をとるようにとの「通牒」を発したことにより, 自警団が日本刀などで武装して警戒し, 朝鮮人に対する無差別的な殺人に及んだことを事実認定しているのである. この経緯は, 浦和地方裁判所における前掲の神保原事件, 寄居事件, 熊谷事件, 本庄事件, 妻沼事件(いずれも大正12年11月26日判決)の各判決においても, いずれも同様の事実認定がなされており, これが埼玉県内の各地における朝鮮人虐殺事件に共通する背景事実であることを示している. (イ)国会質疑にあらわれた「通牒」の内容 なお, 判決において判示されている「通牒」の内容は, 次のようなものであったと伝えられている. すなわち上記永井柳太郎の質疑「官報号外 大正12年12月16日 衆議院議事速記録第5号 国務大臣の演説に対する質疑(前回の続き)」106頁, 資料第1の1「現代史資料6」480頁, 及び, 資料第1の2「朝鮮人虐殺関連官庁史料」67頁所収によれば, 「現に浦和地方裁判所に於きまして, 大里, 児玉両郡々書記が陳述致しました証書に依ってもその移牒電話は大体次の如きものであったのであります. 『東京における震火災に乗じ, 暴行を為したる不逞鮮人多数が, 川口方面より或は本県に入り来るやも知れず, 而も此際警察力微弱であるから, 各町村当局は在郷軍人分会員, 消防手, 青年団と一致協力してその警戒に任じ, 一朝有事の場合には速に適当の方策を講ずるよう, 至急相当の手配相成りたし』と云うことであります. 」との事実が指摘されている. このように, この通牒文は当時書証として残っていたことが明らかにであり, その内容は上記判決に判示された通牒の内容とほぼ同じである. 千葉県八千代市で発生した自警団による虐殺については, 八千代市が1979年に編集, 発行した「八千代市の歴史」(資料第4の9)に記録されている. 同書549ないし550頁によれば「村の各区では自警団が組織され, 鳶口, 槍, 日本刀, 猟銃などを持って部落の入口の警備にあたりました. また, 高津廠舎に軍の命令で朝鮮人を引き取りに行って殺害したりしました. 大和田地区では数人が殺されたといわれています. 」と記載されている. この調査結果を裏付ける貴重な資料として, 当時の地域住民の日記(資料第4の10)が保存されている. 大正12年9月の部分, 3日の欄に, 次の記載がある. 「区長の引続ぎ(ママ)をやる. (中略)と決定. 一切を渡す. 夜になり, 東京大火不逞鮮人の暴動警戒を要する趣, 役場より通知有り. 」(資料第1の6, 資料第4の10『いわれなく殺された人びと』(千葉県における追悼・調査実行委員会編)6頁). これは, 自警団を組織して不逞鮮人の警戒に当たることになった経緯が, 役所からの通知によるものであることを示している. その結果, 軍の指示により, 拘束されていた朝鮮人を, 地域の自警団員が引き取って殺害するという事態が引き起こされたのである. この事実も, 自警団による朝鮮人虐殺が, 内務省警保局からの命令と, これによる地域(村役場)毎の指示に基づくことを示している.
また, 戒厳令司令官令(大正12年9月4日)は, 次のように述べている.
これらの告諭及び命令は, 「不てい団体ほう起の事実を誇大流言し, かえって紛乱を増加する」事態の存在を前提にしており, こうした状況が生じてしまっていたこと(ないしその懸念が生じていたこと)を示している. そして, 自警団を初めとする一般人による, 通行人に対する誰何, 検問, 武器, 凶器の携行が行われていたところ, 軍隊による警備完備に伴って, そのような事態を変更しようとしたことを示している. このように不逞団体蜂起の流言飛語の流布という状況は自警団による虐殺行為の前提として存在していたのであり, 戒厳司令官はこのような事態を認識したうえで, その転換を図る挙にでたのである. これは, こうした事態が国家的関与と国家的政策の支配の下におかれていたことを示しているともいえる.
上にみたとおり, 埼玉県においては, 『東京における震火災に乗じ, 暴行を為したる不逞鮮人多数が, 川口方面より或は本県に入り来るやも知れず, 而も此際警察力微弱であるから, 各町村当局は在郷軍人分会員, 消防手, 青年団と一致協力してその警戒に任じ, 一朝有事の場合には速に適当の方策を講ずるよう, 至急相当の手配相成りたし』との通牒により, 各町村において自警団が結成され, また, 朝鮮人は東京において暴行をなし, 埼玉県下においてもいかなる蛮行をなすやもしれないとの誤った認識を自警団はもちろん地域住民に広くひろめた. そして, これが自警団員等において朝鮮人の殺害行為等の動機を形成する重要な要素となったものである. 内務省警保局との打合せに基づいて県内務部長から各郡役所, 各町村へと通牒が伝達指示されたことが現在はっきり確認できるのは埼玉県の場合にとどまるが, 同様にして, 内務省警保局長の打電は各町村の末端に至るまで徹底されたと考えられ, これにより, 朝鮮人の放火, 爆弾所持などの「不逞行為」の存在は, 中央政府の治安当局の指示, 命令として確認された事実として周知徹底され, 各地において朝鮮人に対する監視と取締りの体制が採られたのである. 「武装」という指示は具体的に示されているわけではないが, 当時の状況からすると, それが前提とされていたと考えられる. 各県庁に県知事の掌握する警察部があり, 市と郡役所所在地に警察署, その他の町に警察分署, 村には巡査駐在所が置かれた. さらに警察だけでは力が及ばないときには, 自警団が補助警察として出動した. なお首府の警察としては警視庁があり, これは警保局と並び, 内務大臣の直轄であった. このように, 各県の警察部は上記のように内務省警保局長の下に位置し, その指揮下にあったのであり, 警保局からの指示によって, 警察組織はその指示どおりに動いた.
関東大震災朝鮮人虐殺関連日弁連調査報告書(9)
1910年の日韓併合以後, 韓国国内において反日独立運動は根強く存在し, 1919年3月1日を期して始められた三・一独立運動は, 全国土に広がり, 200万人以上の朝鮮人が参加した. この運動は7500人を越す死亡者, 1万5000人を越す負傷者を出して終わったが, 日本の為政者には強烈な印象を残した. 日本においても, 朝鮮人の参加する労働運動, 反日運動は, 規模の大小は別として存在し, 関東大震災の直前にあたる1921年から1922年にかけて東京朝鮮労働同盟会や大阪朝鮮労働同盟会が結成され, 1922年5月のメーデーには在日朝鮮人がはじめて参加するという状況があった. これに対し, 1922年刊行の内務省警保局編朝鮮人概況では「最近内地在留鮮人学生中漸次共産主義に感染して内地社会主義に接近するものあり」とされ, 同1923年5月14日付内務省警保局長の「朝鮮人労働者募集に関する件依命通牒」は, 在日朝鮮人は「往々にして社会運動及労働運動に参加し団体行動に出んとする傾向の特に著しきものあり」と, 各庁府県長官に警戒を促している. また, この年5月1日の東京メーデーに際しては, 警察は会場入口に「鮮人掛」「主義者掛」などを置いて彼らを理由なしに検束するなどした.
本件の虐殺に関する国の責任を論ずるにあたって, 当時の国際的認識は次のようなものであった.
したがって, 自警団による朝鮮人虐殺について, 戒厳令宣告の下, 殺害の実行主体である自警団を結成するよう指示し, また, 朝鮮人に対する殺意を含む暴行の動機づけを与えた点で, 国の責任は免れない.
第1に, 国は関東大震災直後の朝鮮人, 中国人虐殺に対する虐殺事件に関し, 軍隊による虐殺の被害者, 遺族, および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者, 遺族に対し, その責任を認めて謝罪すべきである.との頭書の勧告に及んだ次第である. (おわり)
[関連url] 日本弁護士連合会 会長声明集 Subject:2003-08-29 関東大震災80周年に関する会長談話 |
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