[…] 勤め先に警視庁赤坂署警察官二人が突然訪れ, 出頭要請書を手渡し, 任意の事情聴取に応じるよう要請した. いきなり職場に警官が訪ねてくるというのは, 大変な圧力である. 二〇〇三(平成十五)年十二月八日付の出頭要請書(赤坂捜発第590号)には, 「平成十五年九月二十二日, 午後0時十分ころから午後0時十三分ころまでの間, 東京都見港区赤坂1丁目9番先歩道上から東京都港区赤坂1丁目9番15号社団法人自転車会館1号館東歩道上において発生した暴行事件」と「事件」を記してある. まず, すぐおかしいと気づくのは, 「事件」の現場住所が間違っていること. 港区を「見港区」と誤表記. 〇四年四月二十日付けの出頭要請書でも同様の誤りを繰り返した. ずさんな文書である. 「武富士問題」などで警察幹部の不正を厳しく追及しているジャーナリストの寺澤有さんはこの出頭要請書のコピーを見て指摘する. 「出頭要請書が刑事課長名で出されていることに驚きました. つまり, 刑事警察までが動員され, 桜田門総体が公安化・政治警察化していることを物語っています. 『テロ対策』に名を借りた弾圧はエスカレートするばかりです」 職場を訪れた警察官は, 「米国大使館から出てきた人に対して顔のすぐ前でハンドマイクを使って怒鳴りつけたことが暴行容疑に当たり, 捜査している」 と口頭で説明した. […] 【田中稔 イラク戦争に反対する市民へ警察官が「嫌がらせ」ともとれる捜査をするケースが続発している】
本を書いたあと, 鶴見俊輔さんに会って話を聞いたのですが, ベ平連に警察のスパイらしい人が入ってきたとき, どう対処したかという話が面白かった. 自由参加が原則だから入ってくるのは拒めないし, 査問とかはやりたくない. しかたがないから, 会合 と称して夕飯を食べ, 飲み屋に行き, 深夜喫茶をはしごし, スパイらしき人が帰ってしまうまでそれを続けて, 夜明け近くになってから重要なことを決めていたという. 「食い倒れ作戦」とか呼んでいたそうですけど(笑). / またベ平連の脱走兵支援活動で, あるとき脱走兵の一人が気弱になって「もう脱走をやめて隊に帰る」と言い出し, ほかの脱走兵と喧嘩になってしまった. そういうときに, 「裏切者」とか問い詰めてもしかたないから, 鶴見さんは「せっかく脱走したんだか ら, 隊に帰る前に日本で行ってみたいところはないか」と聞いて, みんなで銭湯に行った. それで午前中の誰もいない銭湯で, 窓から日光が入ってくるなかでみんなでお湯に漬かっていたら, その脱走兵が気を取りなおして「やっぱり頑張ってみる」と言った そうです. / こういう姿勢は, ある意味では「いいかげん」ともいえますけど, ある意味では余裕のある知恵というか, 柔軟さというか, 太っ腹さともいえる. こういう姿勢が, 連合赤軍などにもあったら, 事態は違っていたでしょうね. / ベ平連の組織論やスローガンそれ自体は, 別に特筆してどうのこうのというものじゃないと思います. 中心的な指導部が全体を統制するのではない, ある種のネットワーク型の組織というのは, 工業化した社会の運動はみんな自然発生的にそうなってい ます. いまでは自民党だって, 「新しい歴史教科書をつくる会」だって, ネットワーク型の組織になっているし, 「普通の市民」とか言っています. / だからべ平連から学ぶものがあるとすれば, 組織論よりも「柔軟さ」というか「太っ腹さ」だと思う. それは, 異なるものを排除しないという論理につながる. 10のうちの1つでも意見が共通していれば, 一緒にやればいいじゃないか. 今回一緒にやるからと 言って, 次回も一緒にやらなくたって別にいいじゃないか. またの機会に一緒になるなら, それもまたいいじゃないかという, 「来る者は拒まず, 去る者は追わず」みたいな余裕の感覚ですね. それは「幅広く取り込む」とかいう, 組織拡張志向とは別の問題 です. / 本にも引用しましたが, 66年ごろ吉川勇一が「先日のデモはとうとう40数人しか来なかったのですが……」とこぼしたら, 鶴見俊輔は「驚いたなあ, 40何人も来たのですか? 凄いですねえ」「小さいことはいいことだ」と言ったという. 営利事業じゃあるま いし, 「お客」の数さえ多ければ偉いというわけでもない. 「幅広く取り込む」とかいうのは嫌らしいけど, こういう「来る人は歓迎します, 来ない人はご自由に」の姿勢はいいですよね.
…… このパレードは, 当初から, 「個人参加型」が提起された. 全員横並びの実行委員会, 一人一人が自分の気持ちで参加できるものを目指した. ここで排されたのは, 「組織動員型」である. パレードに終始尽力した最大の功労者瀬野団員の気持ちはそうだったのだと思うし, 河内団員も, 「組織動員型」の運動にしなかったということを高く評価すると言っておられる. しかし, 私は思うのだ. 「個人参加型」と「組織動員型」とは, そのように対立させてとらえるものなのだろうか?それは, おかしいのではないか? この対立構造の視点の何よりのおかしさの証拠は, 当日のパレードそのものにある. あれだけの労組や地域の旗が林立する明治公園は, 一見すれば, 「組織動員型」の集会に見えるのではないか?しかし, 参加していた人たちは, 組織の上から降ってきた要請に義務で仕方なく参加した人たちだったのか? 新宿平民連で見る限り, 現在の民主勢力と呼ばれる人たちには, 動員といっても, それほど大層な力があるわけではない. 例えば区労連では, 各労組宛の郵便物にチラシをいれ, 常任幹事会で議題にして各労組の取り組みをお願いする程度のことなのだ. 結局は, そこに集う人たちの心に, 訴えていくことによって, 集会なりパレードなりへの参加が生まれていくのだ. 私がその対立構造について異論を唱えるのは, そのことによって, いわゆる「既存左翼勢力」と呼ばれる人たちとその運動に対する軽視が生まれると思うからである. それはまず第一に, 「既存左翼勢力」と呼ばれる人たちに失礼だ. これまで曲がりなりにも, 相対的に豊かな生活があり, 私たちの国が戦争をしない国家であったのは, 彼らが歯を食いしばって運動してきたからではないか?第二に, 渡辺治流に言えばそのことのコロラリーであるが, 彼らこそ, 民衆が運動で社会を変えていくという道筋の, 基盤となることを見落とすことになると思うからである. 確かに, 「組織」の嫌いな人は多い. そういった人たちと過半数をとらないと, 憲法改悪阻止は実現できない. だから, 大切なのは, 「既存左翼勢力」と既存組織を嫌ういわゆる「普通の市民」とを, どのように結びつけるのか, ということなのだと思う. 今回のキャンドルパレードは, その意味では, この結びつけをどのようにはかるか, 貴重な経験を得られたということで良かったと思うし, そこにこそ最大の成果があると思うのだ. 【笹山尚人「2・5」に地元新宿はどのように関わったか】
[…] 社会における治安問題の比重の増大を背景として, 政府や東京都,司法権力といった支配層が一体となって意図的に従来の慣行を変えようとしています. 二つの事件の共通点が四つ挙げられます. [要約]■ 市民生活への弾圧からはじまった権力の猛威 治安維持法犠牲者の声を聞け 星徹 [関連リンク] 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟・和歌山県本部, 治安維持法 解説, 大原社会問題研究所 日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動 第四編 治安維持法と政治運動 第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧[…] 日本が軍事大国化していく現在においては, テロ問題を焦点としながら「テロの温床としての左翼」に対する存在感を示しておきたいという,公安警察の目論見がある. 最終的にはテロ対策法をつくるのが目標です. テロ対策で権限と予算を拡大したいという要求があり, 今回の事件は法をつくるまでの小手調べという側面も強い. […] [関連図書] 『講座 現代資本主義国家 2 現代日本の国家構造』 pp.223-268 渡辺治 「現代警察とそのイデオロギー」(1980-05-30 大月書店)
- 従来は慎重な取り扱いをされてきた領域に対して強権を発動してきた.
- たまたま現行犯で捕まえたのではなく十分狙いを定めての逮捕だった.
- 国論を二分する政治争点に関わる政治的表現に対して直接的な規制をするというかつてないことを行った.
- 通常ならば不起訴しかありえない事件であり警察と検察が結託して法執行のあり方まで変えようとしてきている.
この手の「従来型の運動の問題点を指摘する」型の議論, もう聞き飽きた. とくに, だいたい私前後の年齢の人間(どう考えても若者ではない)が政治について語るとき, 判で押したように「全共闘世代ウザイ」とか, 「いまどきデモもないでしょ」みたいなことを言ってしまうのですが……. これ, 言ってみれば, 「勉強しろ勉強しろって言われると勉強したくなくなる」て言っている子供と同じでね……参加しにくかったのは, 参加しやすい雰囲気を作らなかった者が悪い? ただたんに参加「しなかった」だけであって, 人ごとのような言い方ではあるが, 人のせいにすることはやめたいものである. だいたい, 運動がもりさがってしまった原因は, 運動だけにあるわけではなく, いうまでもなく, 権力による弾圧, また, この記事を載せている朝日を含むマスコミを通じた情報操作, にもあるわけであって……ああ, なんで私はこんなガラにもない恥ずかしいことを, 従来型の言葉遣いで言わねばならないのだろうか……これというのも, ここにきてまたぞろ従来型の「従来型運動問題点指摘論」を飽きもせず繰り返している人々が目立つからである(<人のせいにしている).
【『「内在」する事の可能性そのものの危機』後半から抜粋転載 改行省略あり】 …… 「従来のデモのなかにあった一種の独り善がりの傾向から脱却し, できるだけ反戦の意思を持った多くの人々が一緒に行動できる表現にしたいという努力」と高田氏は言う. しかし, 私は彼らと一緒に歌う事はできないし, 黙ってだらだらと歩く事も出来ない. これは何か? 私はこれはマスメディア的に(あるいは高田的に)語られるところの「新しい運動」が, 一定の, 「善良な人々」の運動, ああいった「みんなで歌う」という宗教的形態が, 街ゆく市民との間に垣根を作らない, と信じるような種類の人々の運動であるという事, そしてその独特な形態を無前提に「フツーの人々」と一般化普遍化する事に, 自らなんの違和感も疑問も持たない, そういった種類の人々の運動であるという事から生じる問題ではないか, と考える. それは高田によれば「徹底したやさしさ」である, と称されるのだそうだが, 私の語彙ではあれは「やさしさ」といった種類のものではないと思うが, そう自称されるのであれば, それもまたよしとしよう. ちっとも革命的ではないものが「革命的」と称される, あるいは薄汚い野望に基づく派兵が「人道的援助」と称される, などといった事態は珍しい事ではない. 繰り返すが, そういった運動が存在する事それ自体を, 否定的に捉えようという考えは全くない. 単に「私とは違う層の運動」であり, 「こういった人々も戦争に反対しているんだなあ」という感想を持つのみである. ことさらそこに分岐が必要であるとも思わない. 単に, 私はそういう種類の人間ではないし, また私によく似た種類の人間も層として存在するという事に過ぎない. 問題は, こういった「善良な」層の人々が作り出す運動が, 極めて異物を排除しようという指向性が高いという事から生じるものである. 東京に於いては私によく似た連中は, どうやら「御遠慮願われて」いるらしい. 高田氏がいうところの「徹底したやさしさ」とこれらの排除がどのように整合するのか, 私には理解できない. そしてまた, この「異質な物の排除」という作風は, 現在の支配の形態と全くの相似形であるようにしか, 私には見えないのだ. この点において, 辺見氏の「私たちのファシズム」という整理は, 私にはおおいに頷けるものであるのだ.高田氏は「御遠慮願う」とあっさりと書く. 実のところ, 東京の情勢に責任を持てない私は, 東京での排除が, 何を以て行われたのかわからんとしか言い様がないが, 現実問題として, 高田氏が指弾する「内ゲバ」によって死体の山を築いてきた人々は御遠慮願われていないようであるし, 警察にメシ喰わしてもらっていた人も御遠慮願われていないようである. では一体, 何が御遠慮願われたのか? この「御遠慮願う」事の基準は, 誰がどこでどのように決定しているのか, 私は知らない. 少なくとも私はこの件に関して意見を持っているが, 私の意見をどのようにこの決定に反映させればよいのか, 私は知らない. 実際のところ, この排除される事の基準は, 「従順さ」という部分で切られているようにしか見えないのだ. 決して「内在しているか」という部分ではない. 私や私によく似た人々は, 「従順に」戦争に参加し, 「従順に」戦争に協力する事への拒絶から, 戦争に反対する為に行動している. 「従順ではない」という事は, 私たちのアイデンティティである. この「従順さ」という部分が辺見氏によれば犬が腹を見せている様という事になろう. そしてその同じ現象を高田氏は「やさしさ」であると称している. で, これは運動の「指導部」への従順さと警察への従順さを同じように持つ事から, 高田氏も指摘するところの諸問題も生じる. これにはもう一つの側面があるが, それは後に述べよう. また, あえて「指導部」という言葉を使うが, これは事実上, どの部分をどのように「御遠慮願う」かを決定できるような層の事を指すと理解してもらおう. で, 現在的な支配の形態である. 現在の状況は, 純然たるファシストが政権の多くを占め, その政権の出す方針に対してなんの歯止めも機能していないという意味に於いて, ファシズムそのものであるか, ファシズムに極めて近い状況であると判断してよいと思うが, そのファシズムの結集軸はなんであるのか? ファシズムというのは大体に於いて, 「美しい理念」を語る. しかし, 「日米同盟」だの「日本の国益」だのはどうにも美しい理念ではありえないし, 天皇制が突出して状況を引っぱっているわけでもない.
では, なにが結集軸になっているのか?それは「他者排除」ではないのかと私は考える. ここでの「他者」とは, 「北朝鮮」であり, 「在日」であり, 「ホームレス」であり, 「反日サヨク」であり, また私たちのような「ろくでなし連中」であり, エロチラシの配布業者であり「オレオレ詐欺」であり「ひきこもり」であり他地区の廃品を回収する廃品回収業者であり生活保護者でありラリ中であり老人でありフリーターでありコンビニの前でヘタッている連中であり, 「退廃的思想」であり, 「怠惰」であり. 要するに「フツーの人々」ではないすべての層. そういう社会的に負のスティグマを背負う連中に対する排除, それを「社会秩序」とし, それらに対する監視, 排除を結集軸としてファシズムが形成されようとしているのではないかと見える. そこで「他者」である為には, 特定のマイノリティに所属している必要はない. 例えば, 「従順ではない」. 「集団行動が出来ない」「こわい」. これらはその排除される対象が, 必ずしもその通りの存在である必要はない. 「あの人たちは私たちとは違う」「あの人たちと一緒にされたくない」という事が表明されるだけで足りるのだ. これは決して妄想ではない. この間の反戦運動への弾圧は, 立川テント村への弾圧が最初ではない事を私は知っているし, それに対して誰がどのような態度であったのかも知っている. そしてまた, そういった態度が, 政治警察の跳梁を容易にしてきたという事も知っている. 高田氏は「外在的批判」というその立場性を問題にする. しかし, 私たちの前には, 既に内在する事それ自体への困難が横たわっているのだ. そしてもう一点, 高田氏は運動内部において, 警察にメシ喰わせてもらっていた連中について, 高田氏は「経験を持たない」事に理由を求めている. 果たしてそうか?. 私たちはこういった連中についてはよく知っているではないか.運動官僚.
彼らの特性として, 自分たちがその運動についての隅から隅までを決定する事が出来, それをコントロールする事が出来るという妄想を持つという点を挙げる事が出来るであろう. そして, コントロール出来ない部分については, 「内在していない, 外部のもの」であるとして, 如何様にも処理できると考えるし, そのコントロール出来ない部分が「戦争に反対している部分」であるという事を考慮の外に置く事も出来る. この問題は「経験の不足」の問題ではないだろう. 驚くべき早さで, こういった運動官僚が育成された事. その下地はなんであったのか, 高田氏や高田氏に同調する諸氏には考えて戴きたいものだと考える. 私があえてこういうものを書き, 公開しようと考えたのは, 反戦運動内部でのすさまじいディスコミュニケーションへの深い絶望によるものである. それぞれの立場性や党派性, 運動的センスによる相違は前提である. その上で, 互いの立場を踏まえた上での議論というものがあって然るべきではないのか? ……
【熊乃巣 2004-03-13 より転載】 3月13日. 立川の不当弾圧に抗議するデモに取材を兼ねて参加する. 詳細は『自然と人間』の来月号にて報告するが, 警察のやっていることはめちゃめちゃである. しまいには, デモ解散後, 当然ながら(隠しようもないし隠す必要もないのであるから)プラカードを担いで帰路につく参加者へ, 「プラカードを下げなさい!」, 「おら, そこの兄ちゃん, プラカードを出さないで」, とパトカーから繰り返し威圧的に「命令」してくる. 私は耳を疑いました. この国ではプラカードを持って歩くことすら許されないのかね. すごいなあ. まるで独裁国だ. そんなものに唯々諾々としたがっていては政治的自由は絶滅してしまう. 徹底反抗あるのみ
「困難を乗り越える闘いに内在するか, それとも外部から嘲笑するか」 目次と抜書き
- 思想的退廃とニヒリズムからの批判
実はこのような辺見の論調は, 辺見と同様に六〇年代後半から七〇年代初頭の日本の反戦闘争を闘った経験をもつ, 運動圏の周辺の一部の人々の気分を捉えている. これらの人々は現在の反戦運動を見て, 辺見と同様に過去の「栄光」の思い出に浸りながら, 「辻褄が合わないな, なんだか間尺に合わないな」と愚痴り, あるいは非難する. いわく, 「あの時代の経験が受け継がれていないのはなぜだ, これは問題だ」と. これらの人々は怒りや不満はあるが, 自ら行動するのはなんとなく大儀で, いらだっている.- 一年前の「批判」の焼き直し
- WORLD PEACE NOWなどに見られる新しい反戦運動
パレードを組織するときに, 都の公安委員会と警察の指示するデモの許可条件をかたくなに遵守しようとしたり, 警察の誘いに乗って食事をしたことなどがあとで運動圏の一部から問題にされるということも起こった.
従来の市民運動の潮流と新しい市民運動の潮流は違いを乗り越え共同する必要性で一致した. 二〇〇二年十月二六日, わずか七〇〇人の規模ながら, 「市民緊急行動」と「CHANCE」による初めての共同行動が渋谷の街で実現した. 共同するなかで二つの潮流は互いの「流儀」の違いも改めて知りながら, 以降, 会議やインターネットでの議論を重ね, 互いに学びあいながら合流していった[引用者の注記 : chance-forum-ML:13317 を参照されたい]. WORLD PEACE NOWはこうして生まれた. …… ここで掲げた「非暴力の行動」という原則は, 「(この行動においては)互いを誹謗中傷しない」という約束とともに九〇年代後半に労働組合や市民運動で組織された「周辺事態法」に反対する「戦争協力を許さないつどい」の一連の共同行動のなかで基準として確認されてきたもので, それはその後の「有事法制反対」の市民や労働組合の共同行動の原則にも引き継がれていた. そこでは警察の挑発に対する不必要な反撃行為や, 集会に集団としてヘルメットなどをかぶって示威的に参加することなどもご遠慮願うことにされた. WORLD PEACE NOWの申し合わせはこのながれと, CHANCEなどの非暴力行動原則が一致してできたものであり, いわゆる「非暴力主義」とは次元がことなるものだ. この間の経過を知らない人の一部が, 「WORALD PEACE NOWは, 非暴力抵抗の思想の何たるかも知らず, 矮小化している」などと説教するのはピントがずれているのだ.- 七〇年闘争と内ゲバ主義の克服の課題の未解決の課題
「議論を起こす」ことは賛成だが, そこに生じた意見の違いを暴力に訴えると言う過去の歴史に決着をつけることなしに, 北沢氏がいうような「議論」の成立は容易ではない. どうしても「実力部隊」を持って恫喝する人々との論争を正常に行うことは困難だ. この下では議論がいびつになることは避けられない. 「議論」を提唱する人々は, まず第一に真剣にこの内ゲバという問題の解決のために闘わなくてはならないのではないか. それは「議論」における最低限のルールつくりだろう. ましてこの問題は単に過去の問題ではなく, 一部のグループは依然として現在も生きた方針として引きずっている問題なのだ.- 現在の反戦運動に見られる「やさしさ」と「明るさ」のこと
【「派兵の次にくるものは…」より】 … アウトサイダー気取りの作家・辺見庸が「閾下のファシズムを撃て」(『世界』3月号)などとぼやきつつ運動に水をかけている. 「ろくな抵抗もない, …辻褄が合わないな, 間尺に合わないな, と口ごもる」ことで対抗できる小泉ではない. 彼は他人の足にまとわりついて運動の足どりを乱しているだけだ. これらも含めて飲み込むような力強い反戦の奔流を作り出そう. いま憲法違反の派兵を進め, 「殺し, 殺される関係」の上に成立しようとしている違憲国家を批判し, 自衛隊の派兵に反対し, イラクとインド洋からの撤退を要求する巨大な市民運動を出現させよう.
【テント村の声明 2004-02-28】 イラク反戦行動への不当弾圧を糾弾する --私たちは自衛官に派兵反対の呼びかけを続ける-- 2月27日早朝, 私たち立川自衛隊監視テント村は「イラク反戦」を理由に全面的な弾圧を受けた. 逮捕者3名, 事務所・個人住宅の家宅捜索6ヵ所. これは小さな反戦市民団体としては大きな打撃である. 令状には, 1月17日に自衛隊官舎に反戦ビラを配ったことが住居侵入にあたる, とあった. 団地のポストにチラシ広告を投函するすペての行為がこの弾圧の対象になりうる. かつてオウム真理教信者によるボスティングが同様の弾圧を受けたことがあるが, 日本という国が, 民衆の反対の声を封殺し, 派兵国家としてその暴力性をあらわにしたのである. 問題の1月17日, 私たちが自衛隊官舎に配ったビラは 「自衛官・ご家族の皆さんへ自衛隊のイラク派兵反対!いっしょに考え, 反対の声をあげよう!」 と題するものである. 大義なきイラク戦争, そしてその泥沼化の中で, 「計算機を片手に令令を下す者はいつでも安全で, 命令を下されるものや, さらにその標的になるものは, いつでも身の危険におぴえ, 激しいストレスにさらされ, 時には金で横っ面をたたかれる」と, 自衛隊派兵の背景を批判している. そして自衛官とその家族に「自分で考え, 一緒に声をあげよう!」とよぴかけている. 派遣隊員たちは「仕事だから」「国のためになるなら」「上官の命令だから」‥・と自分の気持ちを整理するのに必死だ. そして「この戦争は正しいのだろうか?」「イラクの人を殺してしまったら, トラウマに一生苦しむのではないか」・‥と悩んでもいる. かつて日本はすペての反対の声を抹殺し, 子どもたちを皇国の神話で染めあげ, 破滅的な侵略戦争へと突き進んでいった. 自衛官が自分がどう行動するべきか悩むことのできる社会こそ健全な社会である. 私たちが派兵反対の声をあげ, 自衛官たちと議論できる社会こそ, 誤った政策からの復元力を持つ社会である. 人権も言論の自由もない「銃後」の社会づくりを私たちは拒否する. 政府は, 憲法も国際法も無視した派兵を詭弁によって糊塗し, 既成事実を積み上げて, 「イラクに行った自衛隊を応援するしかない」と世論を誘導する. イラク反戦運動が直面しているのは, こうした巨大な権力なのである. 私たちは, 詭弁を論破し, 歴史と現状から既成事実の誤りを一つ一つ訂正する闘いを続ける必要がある. そのとき大切なのは, 言葉の力であり, 言論の自由であり, 自衛官とその家族との対話の回路である. 私たちテント村は, 権力の予防弾圧をはねのけて逮捕された仲間をとりもどし, 全国・全世界の人々とともにイラク反戦を闘いぬきたいと思う. 私たちは自衛隊員とその家族へのよぴかけを決して止めはしない. 抗議と奪還の闘いへの結集とともに, 広範な救援カンパへの協力をお願いする次第である. 2004年2月28日 立川自衛隊監視テント村 立川市富士見町2−12−10−504 電話/FAX 042−525−9036/524−9863 カンパ送り先 郵便振替 口座番号 00190-2-560928 口座名 立川自衛隊監視テント村
【抗議行動の男逮捕 派遣絡みで全国初−旭川 2004/02/21 01:30 北海道新聞 旭川】旭川中央署は二十日, 道交法違反(道路における禁止行為)の現行犯で, 陸上自衛隊旭川駐屯地北門前で派遣反対の抗議行動をしていた男を逮捕した. 道警によると, イラク派遣絡みでの逮捕者は全国で初めて. 調べでは男は, 同日午後一時ごろ, 陸自第二師団の司令部がある旭川市春光町の同駐屯地北門前の路上で, デモ行進の約七十人とともに立ち止まり, 車両の通行を妨害した疑い.
【kitanoのアレ 2004-02-12 「落書き」事件判決 /「何が」汚いのか より抜粋】 「汚い/清潔」という単純な議論は, 「汚い/清潔」の基準は単一ではなく相対的だという点において無効ですが, 汚さの基準に触れてコメントしている例は, 残念ながらあまり見当たりませんでした. / 何にどんな理由で法の強制を発動させるかという本質的な法的議論ではなく, 水に落ちた汚い犬を見てどう思うかというような感覚的不愉快の表明レベルに留まっているコメントを随所で見ます. / 「自分が汚いと思っているものはみんなにとっても汚いし, 汚いと思うべきだ」みたいな, あるいは「落書き」という言葉の持つ美観の基準の自明性を疑わない批判というか, 汚いと思わない奴はやっちまえ的なコメントがあるとしたら, それはそのまま社会の病理として顕れている, と私は思います. / グラフティを描いた人には「表現したいこと」や「表現者としての主体性」というものが明確でしたが, じゃあ感覚的不愉快の表明レベルで被告人を批判している人は, いったいどんな主体性や自己の「内実」を備えているのか. / グラフティを描いた人への批判という形でかろうじて「表現者としての主体性」を獲得するという程度の薄弱な主体性しかないのではないかとの疑いを, 私は抱かざるを得ません. / 粛々と秩序に従い続ける薄弱な主体性しか持ち得ていないからこそ, 共同体的な価値観や公権力への依存傾向が強まり, その依存を脅かす存在への排除として, 水に落ちた汚い犬を見てどう思うかというような感覚的不愉快の表明が行われるという構図が見えます. / 誤解する人もいるかもしれないので, はっきり書いておきますが, 悪法も法ですので, グラフティを描いた人は描いた責任をとって「軽犯罪法違反」の刑に服するべきです. / 言動において自由を行使した人は, その言動の責任を自らとらねばならなりません. あたりまえでしょう. / メッセージの正当性はそのメッセージを発した人の行為の責任性を失わせたりはしません. 当然のことでしょう. / しかし, です. ……
目次 ■スラヴォイ・ジジェク イラク人は薬缶を借りた(松本潤一郎・訳) ■酒井隆史 x 矢部史郎 最悪は, 最高だ ■小泉義之 配分的正義を - 死の配分と財の配分 ■足立正生 米英のイラク占領で, 世界のパレスチナ化が始まった! ■太田昌国 壊れゆく言葉 - 有事・戦時下の言論状況 ■高坂和彦 汚辱の歴史・イラク派兵〜酔漢妄呟〜 ■松葉祥一 破産した「自衛」の概念 ■田崎英明 定義と判断 ■渋谷望 腐敗による統治戦争 ■道場親信 「普通の国」への抵抗 ■渋谷哲也 いまでも「天皇陛下万歳」と叫ぶ人たちがいる - 映画はいかに批判的でありうるか ■井土紀州 x 平沢剛 映画 = 運動の現在をめぐって ■平井玄 ぼくらがイスラエル人になる日 ■東琢磨 日常の再構想としての〈反戦〉 ■磯部涼 デモ = パーティ論 ■山口素明(靖国解体企画) 公務死を加速させる栄典制度の改革を許すな ■山の手緑(反資本主義行動) 人道支援を粉砕するために ■田中伸一郎(反資本主義行動 = ACA, 「昭和天皇記念館」建設阻止団) 苛酷な訴追がお前達の帰りを待っている ■かねはぎあつし 戦争恐怖人 ■関西有象無象反戦行動「その他. 」 関西有象無象反戦騒動顛末 - 2004年 1月 1日, 大阪某公園にゴロゴロ寝そべって座談会 ■白石道太 2003年反戦運動についての回想 ■池田五律 人事交流から見る防衛庁・自衛隊の再編 ■井上森(立川自衛隊監視テント村) 自衛隊派兵は, 何のメルクマールなのだろうか? ■立大洞俊之(立川自衛隊監視テント村 立川周辺での派兵反対運動この一年) ■さっちゃん(立川自衛隊監視テント村) 立川の自衛官のみなさんへ ■田中直也(日米共同軍事演習に反対する1.18集会実行委員会スタッフ) 日米共同軍事演習ヤマサクラ反対! - 侵略戦争と治安弾圧にノー! ■津村洋(反戦ネットワーク)反戦デモ12・24 Xmasの渋谷を席巻す ■なすび(山谷労働者福祉会館活動委員会)下層民衆に殺し合いをさせるな! - 寄せ場・野宿者運動からの反戦 ■のびた(戦争と治安管理に反対するPINCH!)戦争と治安管理はセットになってやってくる ■編集後記
[目次] 新しい皮袋と新たな酒 / 少ない反戦運動論 /「優しさ」と知識人の後退 / 本番はこれからだ
[少ない反戦運動論 - 論座 2004/3月号 p.90-91 より抜粋] 運動論が論壇に殆ど登場しないということは, 運動側の実態の反映かもしれないとも思う. 運動の中心部にある指導的活動家, 主として, 新しく登場してきた若い層は, 運動の拡大のためにマスコミ受けをする演出効果には熱心でも, ある程度の長いスパンの中で運動がどうあるべきか, どの方向に向かうべきかなどの議論を, あまり好まなかったようだ. …… [「優しさ」と知識人の後退 - ibid.p.91-92 より抜粋] 問題提起がなくはなかったのだが, それから議論が発展しない. 意識的に避けられたような気もする. 意見を発表すると, それへの反論, というより弁解, 時には批判者への甘えとすら思えるような「反論」はメールなどで送られてくるのだが, しばしば, これは個人的な意見なので引用や公開はご遠慮くださいなどという注文がついてくる. これでは議論などできはしないし, 私的にやりあったところで, 運動の共有資産にはならない. 一例を挙げれば, 昨春の大行動の主体, 「WORLD PEACE NOW」(以下「WPN」)の若手中心グループの一つの指導的メンバーによる警察との会食問題があった. それへの批判がなされ, 当事者から釈明もなされたのだが, それでは不十分とする批判が後まで続き, 更なる解明の申し入れ文書なども参加グループから出されているのだが, そこから先の議論は一向に目に見える形では展開されていない.…… 「WPN」は共有の機関紙(誌)がないということも公開の議論を難しくさせる条件になっているとも思える. だが, 社会的関心事の共有性がまず確認され, その上での議論がなければ, 運動はいつまでも心情的・感情的レベルにとどまってしまう.…… 【吉川勇一 「デモとパレードとピースウォーク - イラク反戦運動と今後の間題点」】
… 今回のStreet Rave Party(サウンドデモ)に対しては, 昨年7月, 10月のデモよりさらにムチャクチャアな不当警備がなされた. 車道側, 歩道側だけでなく, 反対側の歩道まで重装備の機動隊がこれみよがしに威圧的に闊歩し, 両側の歩道を排他的に独占した. 機動隊と公安警察は, 憲法も表現の自由も完全に踏みにじり, 歩道でのビラまきを暴力的に禁圧し, デモへの参加の自由も離脱の自由も剥奪した. まさに, 憲法もその第九条も反故にしての自衛隊出兵という戦時下に呼応した弾圧だ. / 途中から遅れてデモに参加しようとした仲間のデモ参加を阻み歩道を引きずり回したり, 喉が渇いたから飲み物を買いに行こうしたり, トイレに行こうとしたデモ参加者を歩道に出させないという言語道断な人権侵害を凶行している. それだけではない, ただ単に信号待ちしていた人をも暴力的に規制, 排斥している. そこまで異常な事態になっているのだ. 肌で感じるように, 侵略戦争に参戦する, 自衛隊=日本軍をイラクに送り込むとはそういうことなのだ. / 歩道で, 歩道と車道の狭間のあちこちで衝突が何度も発生した. デモ隊を上回るような機動隊・公安警察の動員こそが不当である. それに抗議し, あらがうのは正当であり, 当然のことだ. 反抗, 抗議, 反乱は当然の権利だ. 昨年春のWPN的な公安警察に親和的・統制的運動を超え, さらに, 自衛隊=日本軍のイラク派兵に抗し, 継続的なレジスタンス, レベリオンを! 【反戦ネットワーク report 津村洋 派兵反対緊急デモ報告】
この時, 私はようやく「非暴力」という言葉の意味を理解することができた. 「非暴力」とは, 暴力を単純に非難するものではない. 暴力を単純に否定するものでもない. 「非暴力」とは, まずはそこにある暴力を露呈させることなのだ. 「非訐(ひけつ)」という言葉がある. 「非」はそしる, 「訐」はあばく. 「非暴力」とは, 正しくは「非訐暴力」であると考えるべきだろう. そこにある暴力を浮かび上がらせ, しかる後に反転させること. これこそ, 「非暴力」という名の暴力が果たすべき役割なのだ. 【遅ればせの革命 2004-12-14】
これからは“カジュアルな逮捕”の時代であるという. 公共空間の未来に関するシンポジウムに招かれた際, パネラー仲間の社会学者が語って大受けしていた. / なるほど. 国民総背番号制をはじめ監視カメラ, 自警団等々, 戦時中さながらの国民皆警察化が急がれる現代日本では, いずれ翼賛体制に服従しない者のことごとくが犯罪者扱いされていくに違いない. 実際, 公衆便所に「戦争反対」と落書きしたら一カ月半も勾留(こうりゅう)され, あげく最高で懲役五年の建造物損壊罪で起訴された青年もいる(朝日新聞東京本社発行六月十七日付朝刊最終版などで既報) …… 【斎藤貴男 自由を愛するなら, まず実態を】
… 英国で毎週のようにデモに参加した私は, デモをめぐる風景があまりにもちがうので衝撃を受けた. なによりも信じられなかったのは, デモ参加者とほとんど同じ人数のものものしい機動隊員が配置されていたことである. 機動隊員は, 手に盾を持ち, デモに参加していない人からはデモの様子が見えないように, 参加者を四方から取り囲んでいる. デモの間中は, 途中からデモに入ることも出ることも, 阻止されたのである. デモ隊は狭い一番端の車線のみを歩くことを強制され, その横をいつものようにバスや車が走りぬける. その度ごとに機動隊はデモに「危ないから内側に入って」と怒鳴り続ける.
おそらく, 機動隊や, その背後にある日本の政府や東京都にとってデモはあってはならない, 人びとに見せてはいけないものなのだ. それは, 規制の対象でしかないのである. デモのような直接的な政治行動が健全な民主主義を支える, などという発想はどこにもない. おそらく彼らにとって, デモに参加するような人びとは単に危険分子であり, できればいなくなってほしいものなのだ. これでは, まるで民主主義が成熟していない後進国ではないか. 私は衝撃を受けるとともに, 自分が住んでいる日本の現状に怒りだけではなく, 悲しみさえ覚えた.
しかし, こうした意識はマスメディアによって飼いならされた良識的な市民とやらにも共有されている. 世界中で拡大している反戦運動や日本の盛り上がりは, テレビなどのメディアではほとんど取上げられることはない. その一方で, マスコミはまるで健忘症にかかったかのように, 満州植民地支配の中心的な人物であり, A級戦犯容疑者であり, 政界復帰後は安全保障条約改定の責任者だった「昭和の妖怪」, 岸信介の孫が自民党の幹事長になると, それを政界のサラブレッドなどと持ち上げている. 私たちは, 今好戦論を唱えている安倍や石原や自民党の議員たちの家族の多くが, 先の戦争をきっかけに, 国民を見殺しにすることを通じてその地位を獲得していった事実から目をそむけるべきではない. 日本では国家や軍隊が戦時中に国民を守ったなどという歴史は存在しないのだ. … 【毛利嘉孝 終わらない戦争, 終わらない反戦運動】
…… 「めずらしく若者がたくさん参加した新しいかたちの市民運動」の燃えかすは, きれいに灰にはならなかった. 焼け残りからは奇妙な不燃物がごろごろと出てきた. 警察との癒着. 醜悪な自己保身. 排除の論理=ソフト路線での統一主義. 何も新しくはない. それどころか, 腐り果ててるじゃん? そしてなによりも, 立場をはき違えた「非暴力」. 権力を行使する側と揉めることが見苦しいなんて, そんな非暴力がどこにあるもんか. 抵抗なしの非暴力なんて, ただ何もしないということ. 非暴力は, 私にとっての非暴力直接行動は, 権力を行使される側に立つものだけがもつ, 暴に非ざる, まぎれもない生命力のことだ. デイヴ・デリンジャーさんがきいたら, 信じられんという顔をするだろう. ガンジーがきいたら……憤死するだろう. [ …… ] パルコが見えて来る. 4・5, 撃たれた捕虜の場所. 撃たれた捕虜は, 私たちの場所に戻って来て, あのときと同じ一斗缶のドラムを叩いている. サウンドカーより先を歩きながら, 派手に踊っている. 捕虜の行列は, ここには跡形も無い. ざまあみろ. 新しいふうを装おう, 骨の随まで旧左翼の市民運動官僚諸君. 口をひらけばルールルール, 夢見心地のホームルーマーたち. いま, 検索不能の人びとの群れ, 名づけようのない集団のみんなが踊っている. 腕を上にあげて自分たちの存在を宣言してる. 私は笑いがとまらなかった. みんなも笑ってる. こんなしっくりくるデモは初めてなんだからしょうがない. ビースティの「Fight for your right to party」. コーラス.You gotta fight
for your right
to party
ここで, 拳が上がっていた. 何本も. 反り返るような腕ではなく. この曲はこのデモのアンセムのようにきこえた. パルコの前. 沿道の人だかりは, 私たちのデモを眺めている. ロフトの高い段に立って, 鈴なりだ. その数はすごい. そして見る間に, デモの幅が膨らみ出す. ぶらついてただけの女の子2人連れ, 野宿者のおっちゃんもまた1人……. 丸井の前, 気が付くと, 盾を持った警察官がずらーっと並んでいた. 妨害が始まる. 薄〜く激突. 抗議. 脅され通しの車は, 揺るぎなく前へゆっくりと進む. 丸井をこえて, 右に曲がる大盛堂前の交差点, 私たちはふたたび大きくひろがり, 路上を奪い返す. ギャラリー, そして群れに入って来る人数はさらに増えた. そして, 交差点の四方から眺める人だかりに向って, 私たちは口々に有事法粉砕を叫んでいた. 「1991年, 英国. 傷つきやすい自然環境や地域への高速道路建設に抗議して, Reclaim the Streets! は始まった. その後数年間で, 環境保護活動家・学生・スト中の労働者・レイヴ文化の人々による幅広い共同行動となり, 世界各地に広がっている. この抗議行動のモデルは, 公的空間――街路や道路――の奪還, 一筋のアスファルトを, 人々が「未来の種を現在の社会で育てる」ために集まる場所へと変換することである. そこには, 自動車もなく, ショッピングモールもなく, 国家からの許可もいらない. 直接行動として祝うのだ. 抵抗としてダンスするのだ」* 人間の生活が国家に従わされるのではなく, 国家が人間の生活に従うべきだ. だから私たちは路上を奪う. ここで踊る権利が私たちにはある. まあ次はぶっ叩かれるかもしれないけど. * 森川莫人訳/NY Reclaim the Streets! Web Pageより …… 【中島雅一 捕虜と乱痴気 - 5.10 Street Rave Against War より抜粋転載】
吉川さんは, この間のイラク反戦の高揚の中にあった, ワールド・ピース・ナウ(WPN)運動の事務局を担った「Chance」の中心メンバーの警察との会食問題などの看過できない問題について提起, 反改憲へ向けて広く結集すべき今だからこそ, こうした問題を討論をキチンと持続すべきであると論じた. 「全国Fax通信」と「新しい反安保実7」は連名でWPN宛の「声明」(7月3日)を発しており,- この2点を要求した. 【 [aml 35226] 『全国Fax通信』第54号 新しい反安保実 7 - 総括討論会の報告】
- 「Chance」の人々が, 自分たちの行為を「明確に『誤りであった』」と認めておらず, その時, どういう話をしたのか具体的に示していないばかりか, 〈たいした内容のこと〉ではないという自己価値のみを前に押し出している姿勢を批判し, 話した内容をWPN事務局の中で具体的に明らかにすべきである,
- 「Chance」の見解表明を「支持し, 同意する」というWPN事務局の態度に, 賛成できない. 「Chance」の行為への人々の不信感は, 当然にもWPN運動全体への不信感に拡大している(警察権力の「Chance」のリーダーとの接触は, WPNの運動への介入が目的であったのであろうから). WPN自体の責任ある態度表明がなされるべきだ,
CHANCEpono2の皆さんから, この間のCHANCEpono2のメンバーのいわゆる警察との食事問題について, 見解の表明がありました. 実行委員会は討議の上, その認識に至った努力を支持し, 共有することを確認しましたので, お知らせいたします. 【WPN実行委員会 この間のCHANCEpono2のメンバーのいわゆる警察との食事問題について 】
[目次] インターヴュー ベトナムからイラクへ 平和運動の経験と思想の継承をめぐって 吉川勇一/道場親信(聞き手) ; * 討議 反戦からみえてくるもの 鵜飼 哲+道場親信+李孝徳 ; * 反戦平和 イラク反戦からコリア反戦へ 吉岡達也 ; 表現としての反戦平和 見よ ぼくら 四人称複数 イルコモンズの旗, 改メ, 殺すなの旗 ヲダマサノリ+小田昌教, ダンス・トゥ・デモンストレーション 野田努+三田格+水越真紀, 反戦平和の背景 ならずもの J・デリダ/逸見龍生訳 世界の不安定要因としての日本 イラク爆撃をめぐって 河辺一郎 : 反戦平和の歴史 「反戦平和」の戦後経験 対話と交流のためのノート 道場親信, イラク反戦フィーバーで終わらせないために 池田五律, 湾岸戦争後の「文学者」 <新たな反戦>の行方 高和政 ; * 非暴力 国際連帯運動 第二次インティファーダ下の非暴力直接行動による抵抗運動 清末愛砂 * 国境をこえる運動 1 殺されたくないし, 殺したくない 沖縄の反戦運動の根 屋嘉比 収, 平和までの道のりはあとどのくらいあるのか? 黄平 / 本田親史訳, 私たちを「国民」という”呼びかけ”は, もう止めて!脱内戦時代の「国益」概念と反戦市民権 金賢美/坂本知壽子訳 * 国境をこえる運動 2 : 恒常化する戦争, 永続化する運動 - ニューヨークからの雑記的報告 高祖岩三郎, 反戦⇔反グローバリズム 毛利嘉孝, 抵抗の累乗型モンタージュ 日本で平和運動をしている君へのフランスからの手紙 廣瀬純, ドイツにおける新しい平和運動 Th・リヒター/山本裕子訳
… 利権屋たちが自分たちの利権を守る方法として, いま例に挙げたような露骨な「弾圧」や「いやがらせ」の他に, 当事者に「自分で自発的に行動している」と感じさせながら「誘導する」という, もっと「ソフト」な方法がある. ある意味では, 先の反原発運動のように全国的な弾圧をしなくてはならないところまで運動の盛り上がりを許したら, 「治安対策」としては既に失敗とも言えるのだ. / そういう「ソフト」な「誘導」型の民間団体工作の手法の一つとして, ヘッド・カッティングと言われる手法がある. リーダーをたらし込んで, 実質上奪ってしまうのである. / 公安庁は, NGOなどが持っていて政府の持っていない情報を入手したり, 世論が大きく揺れている問題について民間団体がどのような見解, 対案を持っているのかなどを調べるため, 団体のブレイン的な人物への接触→協力者工作を行おうとしている可能性が高い. 内調方式を意識していることからもそう推測されるのだが, 一般論として予算も人員も削減されている公安庁は, 効率を高めるために, より団体の中枢部の人物に狙いを絞ろうとしていると言われている. / もし万が一, NPO, NGOのリーダーたちの側に「一般市民は自分たちの主張を分かってくれない」などという大衆蔑視, 選良意識が少しでもあれば, 「愚民はわかってくれないが, さすが政府の中枢の人物は同じ選良同士, よく話を理解してくれる」とばかり, 一気に取り込まれてしまう危険性もあるのである. … - 『キツネ目のスパイ宮崎学 NGO・NPO までも狙う公安調査庁』(社会批評社)第7章 【[aml 34076] 広範な市民活動を狙う公安権力(その2)】
2003年, 3月8日における, わたしたち 「WORLD PEACE NOW実行委員会」が行った示威行動に対し, 東京都公安委員会が, 東京都公安条例に基づいて東京都公安委員会指令第3129号で, 「申請の件別紙条件をつけてこれを許可する」とした条件(以下)について, 異議を申し立て, 東京都公安委員会による4月末日までの各異議への書面による説明, 当申し立て日以降の集団示威運動に対する条件の撤廃を要求します. ……【WPN から 公安委員会への申し入れ 2003/04/18】
……- 情報共有 事前ミーティングを強化します. ウェブでできるだけ情報を共有しておきます.
- 警察対応 デモ行進は市民の権利です. それがスムーズにできないのならば今回のことを前例として, 協力を依頼していきます. 交通も市民の意志表示も尊重させましょう. 海外はそうなんです. お願いします>警察さん, 車のみなさん
- 何が起こっているのか, ビデオなどに収めます. 【WORLD PEACE NOW 3.8 を振り返って 内山隆】